金太郎と美子のつぶやき

全国にたくさんのファンを持ち、オリジナル組手の分野では世界的に注目されている木工作家、矢澤金太郎と妻美子が、木工生活、田舎生活のなかでのつぶやきをご披露します。作品紹介サイトは kintarosan.com

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私の写真とカメラ遍歴(写真が好きな人向けです)

私の写真とカメラ遍歴
 小学校低学年の頃、兄が自宅で趣味でフィルム現像や焼き付けをしていましたので、自然と写真とはどういうものか興味を持つようになりました。4年生の時、姉の婚約者が外国製(たぶんコダック)のカメラをプレゼントしてくれました。丸い閃光電球付きのカメラで、シャッター速度固定、絞り固定という簡易カメラでしたが、距離は目測でしたが、小学生にはもったいない物でした。現在手元に残っていないところをみると、たぶん調子が悪くなって、自分で直そうとして結局壊したんでしょう・・・中学に入ってからは、パールのスプリングカメラを使ってました。折り畳み式であることが気に入っていました。このカメラは最近まで持っていました。そろそろ身の回りの整理をしようということで、古いカメラが趣味という弟子に他のカメラと一緒にあげました。40年以上も持っていたことになります。私は元来一度愛用したものを簡単には手放せない人間なのです。
 高校ではコーラス部と平行して写真部に入りましたが、アサヒフレックスという日本で市販品としては最初の(たぶん)、一眼レフを買ってもらい愛用しました。ペンタプリズムがなくて2眼レフのように ウエストレベルファインダーでしたが、なんといっても一眼レフですからパララックスのない撮影に惚れ込んでいました。まだニコンFが生まれる前の話です。高校時代はプロが指導する写真教室に通ったり、写大の夏期講習に参加したり、一時プロになろうかと、だいそれた事を考えたこともありました。が、親が写真店を経営している親友の写真にかける情熱と比べ自分は考えが甘いと悟り、写大へは進みませんでした。その友人はプロとなり映像会社を経営するほどになりました。高校時代の失敗の思い出としては、仲間と学校の2階の暗室で夜遅く現像を終え、印画紙の水洗のため、ちょろちょろ水を流しっぱなしにして帰宅したんですが、翌日学校で大騒ぎ・・・・印画紙が排水口を塞いだため、水があふれ出し、2階から階段を下って1階までびしょびしょ!!!!!。
 大学時代は探検部と平行して写真部に籍を置いていました。愛機は相変わらずアサヒフレックス。レンズは50mm一本でした。レンズ交換式の一眼レフなのに標準レンズ1本しか持たないというのは変な話ですが、お金がなくて買えなかったんです。その代わり50mm1本でなにが撮れるのか、勉強にはなったと思います。大学ではかなり写真に力を入れました。写真学部といった方がいいくらいだったと思います。現像液は自分でいろいろ調合して増感などをやっていました。一番楽しかったのはミニコピーという複写用のフィルムでの撮影でした。非常にコントラストが高くラチチュードも極端に狭いフィルムですのでふつうに撮ると真っ黒か、真っ白ですが、非常にコントラストの低い被写体をを四分の1段階ずつ露出を変えることでどこかで適正露出になることを期待します。うまく合ったときは非常に非日常的な画像が得られます。もともと4分の1段階ずつ露出を変える、という手法を撮った背景には、当時、露出計を持っていなかったからです。モノクロームを使うのが当然でしたから、ラチチュードも非常に広いため、写真を撮るのに露出計なんか見てたら格好悪いし、チャンスを逃す、という風潮がありました。カラー写真はというと、私の周りでは誰も見向きもしませんでした。写真に色なんか必要ない、というのが理由ですが、色を主題にした写真もあり得るわけですから、カラー現像処理の設備が高くつくということも大きな理由だったと思います。学生写真というのは思想的表現手段ですから頭でっかちな写真だったと思います。
 愛用のアサヒフレックスですが、大学3年の時、中央線の茅野駅前のバス停で野宿してしている間に寝袋の中から盗まれてしまいました。ショックでした。
 大学3年を終えたところで1年休学して、友人と二人でフィリピン・ミンダナオのダバオ市のミンダナオ大学に1年間留学しました。英語の勉強が目的でしたが、大学で写真を、付属高校で工芸を教えることで高校の先生と同じ給料をもらっていました。この1年間は時間がたっぷりありましたので思う存分写真に浸ることができました。日本から最新の引き伸し機を持っていきましたので、好きな時に暗室作業ができ本当に楽しい1年だったです。カメラの修理も相当しました。ストロボをばらして感電もしました。何でもできる、何でも直せる日本人、という評判が一人歩きして日本製の家電品をいろいろ直させられました。
 外国というところは、外国人にとって被写体に事欠かないところです。被写体だらけなのですから下手なカメラマンでもうまくなったような錯覚が起きます。光線の強さ、太陽の角度、建物の色、人の色、自然の色、日本にはいない動物、日本には無い花、すべてが珍しいのですから、それだけで有頂天になります。
 私がその頃興味を持ったのはオリジナルフィルム現像時のソラリゼーションでした。
普通ソラリゼーションはコピーを現像時に反転させるものですが、オリジナルフィルムの現像中にフィルムを感光させるという手法は一発勝負で危険ですが、わくわくする意外性があります。
 八ヶ岳でアサヒフレックスを失ったため、フィリピンへはベスト版のローライフレックスを持っていきました。中古で2万円、当時の予算ぎりぎりの選択でした。レンズはシュナイダー60mmクスナーです。このレンズは実に素晴らしいレンズでした。極めてシャープであり、なによりぼけ味が素晴らしい。この一見して相反する性能をもつクスナー、私は心底惚れ込みました。柔らかく均一な丸いぼけが出る、ぼけ味のすばらしさは値段が数倍のプラナーを上回ると思っています。プラナーよりレンズ枚数が少ないのですから、レンズ性能としては一般論としてプラナーの方が優れているわけですが、にも関わらず私にはシンプルなレンズ構成のクスナーの方が好きなレンズでした。このローライで多くのいい写真を撮りました。帰国後いくつかの賞をいただきましたがそれらの多くがローライによるものです。その愛するローライ、帰国時に売ってしまいました。帰国直前に持ち金すべて盗まれてしまったからです・・・・帰りの旅費のために持っていた金めの物をすべて売らなければなりませんでした・・・
帰国した時が4年時でしたから、研究室に入りました。愛機を手放した心の傷も癒されぬ間に月賦で新しいカメラを買いました。ニコマートです。本当はニコンFが欲しかったんですが、身の丈に合わせてニコマートで我慢をしました。当時トライXの増感の可能性の模索していましたので、露出計内蔵は露出の決定に便利でした。6400とか12800まで上げてみたり、高温現像をやったり、低温長時間現像をやったり1年のうち半分くらいを研究室に泊まり込み写真生活を堪能しました。全紙の引き延ばしも随分やりました。発表会のために一晩で20枚位の全紙を引き伸ばしをしたこともありました。昔の引き伸し機の場合1時間に全紙4枚位が標準的ペースですから5時間一人でじっと粒子のピントとにらめっこしていたことになります。撮影技術はいろんな考えがあり、ぼけやぶれも作画のうちですが、暗室技術には一定の基準というものがあって職人の世界だと思います。
卒業後、サラリーマンとして稼いだお金で、ゼンザブロニカを買いました。それまではモノクロームしか使いませんでしたので、粒子を効果的に見せることが重要でした。フィルム面積の大きいブローニーサイズは全紙や全倍程度では粒子が生かせず、全く見向きもしなかったわけですが、世の中がカラー化の時代に入り、じゃちょっと中型カメラをいじってみるか、という気になりました。ブロニカはあまり好きなカメラではありませんでした。幸か不幸か、ローマで一式盗まれてしまいました。その3日後スイスでプラナー2.8付きローライフレックスを買いました。フランスにいた当時の写真はすべてこのローライで撮ったものです。
 木工で独立した後、家具の写真をきちんと撮る必要が出てきて、スタジオを構え、ホースマン4の5を揃えました。レンズはニッコール125mm、180mm、スーパーアンギュロン90mm。この3本でほとんどの写真が撮れました。その後それほど大きく伸ばす訳じゃないので6×7cmでもいいか、ということになり、マミヤRZを導入しました。75mmのシフトレンズ、120mmのチルト&シフトレンズ、150mm、350mmを揃えました。このマミヤというカメラ、何というか無骨で不満の多いカメラなんですが、ハッセルと比べコストパーフォーマンスが極めて高く、実に実用性の高いカメラなんです。特に家具の撮影には75mmシフトレンズが効果的で、このレンズのためにシステムを揃えたようなものです。その後、野外での撮影が増えるとあおらなくても良いことが多く、それじゃボディのちっちゃいハッセルでもいいか、ということになり503を買いました。レンズは目下のところ50mm、80mm、150mm、250mm、×2コンバーターだけです。、マミヤと比べて6×6と画面的には不利ですが、小型であるという点で機動力があると思います。私の撮影法は自己流ですが、カラーメーターと入射露出計を頼りにミニコピーと同じ、露出を3分の1段階ずつ変えながら1アングルで1本使ってしまいます。
リバーサルでも照度差を二分の一絞り内に押さえれば殆ど失敗することはありません。最初はポラを使っていましたが、デジカメが出だしてからはモニターPC上で確認して済ませました。モニター用デジカメはニコンD1Hを使っていました。ところが現在はなんと大半の撮影がデジカメによる撮影となってしまいました。キャノンの5Dを使うことで撮影時間は従来の半分以下で終わらせることができ、非常に楽になりました。使用レンズは90mmシフト&チルト、タムロンのズームの2本ですが結構撮れます。
 フィルムの場合スキャニングが大きな問題です。ニコンがクールスキャンという中級のスキャナーを出していて、私もそれを使っていますが、本格的な印刷の場合、印刷所にスキャニングを頼まなければならず、その費用がばかになりません。何でも印刷所で使うドラムスキャナーというスキャナーは数百万円するそうで、我々素人が手にできるものではないようです。美術図録を出す場合などではデジカメと6×7cmフィルムの差は歴然としていてフィルムの圧勝ですが、普通のカタログ程度ではデジカメで間に合います。展示会などのポスターでは幅1mちょっとあるB0のカラープリンターを使いますが1m×2m位のポスターを、ちゃんと印刷しようとすると私のパソコンの1GBのメモリーでは全く不足です。50GB位の巨大なメモリーが欲しいところです。
現在現役のカメラは上記のほかライカM6TTL、ニコンF2フォトミック、ワイドラックスF8などです。(息子は特殊なカメラが好きでいろいろ持っているようです)
カメラと一緒に50年以上歩んできましたが、理想のレンズ、理想のカメラって何だろうって考えることがあります。ボケ味の美しさを求めるなら大型テレビカメラ、あるいは大型ムービーカメラのレンズが最高だと思います。それらに比べれば私が買える程度のカメラのレンズはどれも似たり寄ったりのボケ味だと思います。結局、弘法筆を選ばず、そこそこの物なら何でもいいのではないでしょうか?むしろ、そのカメラとの出会い方が大切だと思います。運命的な出会いをしたカメラ、レンズと一生をともに過ごす。私はそうしたいです。ボケ味の良さは光学的知識によるところも結構大きいわけですから、技術でカバーしたいところです。
最初にも書きましたが、私は使わなくなったカメラやレンズをオークションなどで処分することができないたちですので、5台の防湿庫の中に現存するすべてのカメラがお休みになっています。私が死んだら息子よ、良きに計らえ。
  1. 2006/08/31(木) 21:05:46|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

よくもまー!

むかし一緒に、出始めのカラープリントフィルムを袋に入れて現像に出しましたね。戻ってくるまでの楽しみも思い出しましたよ。
私のデジタル一眼レフはミラーの振動ブレがあり、気に入りません。
印刷では、デジカメはまだ発展途上で、リバーサルをフィルムスキャナーにかけたりです。でも最近はお手軽デジカメばかりですよ。
  1. 2006/09/04(月) 15:00:03 |
  2. URL |
  3. けんすけ #h/LGstSw
  4. [ 編集]

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