10年を一区切りにする言い方もあるけれど
私は自分たちの来し方を振り返ると
30年が一区切りのような気がする。
夢が先行してきらきらして
何でも可能なような気がしていた最初の30年。
次の30年は
だんだんに生きていく現実を知らされながら
時にはトライアスロンを戦うみたいに猛烈に仕事、生活に没頭した。
そして金太郎さんが60歳を迎えたとき
私たちはフルマラソンを全力で走る生活から
ジョギング
そしてウォーキングへと
ペースダウンをする方向に舵を切った。
急ブレーキはかけられないから
ゆっくりとソフトランディングをめざしている。
庭には梅の木があるのだけれど
最初の頃は梅を漬けたりして楽しんだ。
しかし第二段階の30年には
だんだん実が落ちるにまかせるしかない余裕のない生活になっていった。
それが今年は梅ジュースになった。
ジュースをながめながら
私たちの第3のステージがゆるやかに広がりつつあるのを実感している。
青い鳥はこんなところにもいた。
- 2009/06/06(土) 16:52:10|
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私たちは、周りをとりまく豊かな自然の中で
環境を大きく乱すことは慎みながら
つつましく暮らしていきたいと思っているのだけれど
工房は木をたくさん消費するし
電気も消費する。
そんな中
カンナクズがお隣の牛の「寝敷き」になるのはささやかな安堵である。
牛は、犬や猫のように自分の居場所を大事に守ることなく
ところかまわず排泄してその上で寝る。
だから夕方にはモミやオガクズを敷いてもらってその上に寝ることになっている。
お隣の牛舎にはうちの工房から出たカンナクズがもらわれるようになって久しい。
よく乾燥した木の香り高い(牛には関係ないか)カンナクズが布団になる。
そしてそのカンナクズは踏みつけられて糞尿と混じり合い、堆肥となってやがて畑の土に帰る。
木っ端は道路のそばに置いておくと誰彼となく持って行ってくれる。
ここらではまだ風呂を薪で焚く習慣が残っているからだ。
「矢澤さんとこの木はよう乾燥しちょる」と重宝がられて
ちょっと誇らしい。
家具を納品すると古い家具を処分してほしいと言われ、持ち帰ることがある。
以前は壊して焼却していたのだけれど(焼却炉はダイオキシン法クリアーのちゃんとしたものです)、
ふと思いついて「ご自由にお使い下さい」と書いて
道路の焚き物の横に置いておくようなった。
そしたらいつの間にか無くなっている。
一昨日は良平が大きな食器棚を納品し
これまた大きな食器棚を引き取ってきた。
「これはどうだろうか」と心配しながら定位置に置いておいたら
3時間でもらい手が現れた。

消費する一方の生活は心苦しいのだけれど
こんな風にリサイクルされると
何か心が軽くなってさわやかな風が吹くようだ。
- 2009/06/01(月) 15:57:00|
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